小さな散歩道

永福稲荷神社  八王子市新町

  八王子市出身で、江戸中期に活躍した力士、八光山権五郎(はっこうざんごんごろう)の石像に会いに永福稲荷神社に行った。JR八王子駅北口から徒歩10分。鳥居の右に、短い化粧まわしをつけた力士の像が拝殿に向かってすっと立っていた。2年前、氏子総代の飯塚昌市郎さん(77)が自費で造り寄進したもので、安山岩製で権五郎と等身大の191センチの高さがある。
  権五郎は八王子市の嶋屋という絹問屋の後継ぎで、絹の商いを兼ねながら相撲の巡業に参加していた。その頃はまだ相撲協会という組織はなく、相撲は勧進相撲だったので、多くの力士は主催する勧進元の大名の世話になった。だが、権五郎は自前で宿をとり、料理人などを連れて参加していたお金持ちの力士だった。最盛期の1750(寛延3)年の京都場所では東前筆頭まで上り詰めた。横綱の称号のない時代だったので、天下一の強さと賞された。
  巡業に旅立つ前には必ず永福稲荷神社に参拝し必勝と旅の安全を祈願した。帰郷した折にも境内で勧進相撲を奉納。1756(宝暦6)年には権五郎が社殿を再建している。
  飯塚さんは神社とゆかりの深い、権五郎の功績を後世に残したいと長いこと考えていた。石像の制作に当たって江戸中期の相撲に関することを調べた。当時は髪も今のような大銀杏(おおいちょう)ではなくちょんまげ。化粧まわしは現在の半分の長さで、つけたまま相撲をとっていたようだ。権五郎が虎の絵柄の化粧まわしを持っていたという文献からヒントを得て、石像の化粧まわしは虎に八本の光が降り注いでいる絵柄にした。
  「権五郎は男前だった」と伝えられていたので顔の再現には苦労した。残る江戸末期のひ孫の肖像画や子孫で稲城市在住の方の顔を参考にした。
  飯塚さんは「権五郎は地元の英雄。八王子は歴史と文化の町であることを若い人に知ってほしい」と言っている。
  永福稲荷神社の『例大祭(しょうが祭)』は毎年9月の第一土曜日。厄除けしょうがを売る屋台や露天がでる。神社では権五郎にあやかり、勝負事に御利益があるとして例祭の「しょうが祭」の時に軍配(勝)御守札を販売(500円)している。
■問合せ/八王子市観光協会 TEL 042-643-3115

(09年12月掲載)  地図


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