小さな散歩道

大和田橋  (八王子市大和田町)

大和田橋 米軍の焼夷弾から逃れたという橋の下

透明版で覆われた弾痕 八王子駅北口から「日野駅」行きのバスに乗り「明神町」で下車。目の前の浅川を渡る橋が大和田橋だ。駅から歩いても15分ほどの距離なので、徒歩で行くのもよいだろう。
  八王子で最初の鉄筋コンクリート橋であるという大和田橋は、石造りの頑丈そうな造りであり、橋の両端には立派な柱も建てられている。そしてその柱近くには、八王子の悲しい歴史を物語る「焼夷弾・弾痕の保存について」という看板が設置されている。

焼夷弾が落ちた地点を示すサーモンピンク色の盤  八王子市は終戦間近の昭和20年8月2日未明に、米軍B29爆撃機の空襲を受け、約450名が死亡、2,000人余りが負傷し、旧市街の約80%の家屋が消失した。その時、多くの市民がこの大和田橋の下に避難し、一命を取りとめたのだという。橋の歩道上には、焼夷弾の跡が17ヶ所残されており、2ヶ所は透明板で覆い、他15ヶ所は色タイルでその位置を示してある。歩道を歩いてみると、朱色の色タイルが点在しており、橋全体では50個以上の焼夷弾が投下されたという被害の甚大さを想起させる。また、30センチ四方ほどの透明板で覆われた弾痕は、よく目を凝らすと確かにえぐられた様な痛々しい痕跡が残っていた。

  まだ雪の残る中、河原に下りてみると、下流側に架る通信線用の鮮やかな赤い橋が目に留まる。そして下から見上げると、全長120メートル以上にもなるという大和田橋の長さがよく分かる。草をかきわけ、多くの人が避難したという橋の下に行ってみると、光の差し込まない橋の下は薄暗く、なんとも物憂げな雰囲気だ。コンクリートの橋脚部に腰掛け、曇天の空を見上げていると、当時の人々の不安はいかばかりであっただろうか、と思いを寄せた。

川べりに建つ趣のあるホテル  橋の近くには、ヨーロッパの古城を思わせるようなホテルがある。趣あるその姿は、橋を守る砦のようでさえあった。

(2014年3月掲載)  地図


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